Takapedia

画像は愛犬の「アレク」

つかれた

仕事(出張帰り)は勉強やる気力わいてけーへん。

こういう時こそ自分へのアドバイス

 

なにをしたらよいですかね神様。

どうすっぺどうすっぺ

何勉強すっぺなーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー。

なんかなーーーーーーーーーーー、なにすっかなーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー。

何も思いつかねえな――――――――――――――――――――――――――――――――――――ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー。

若いうちに遊べとよくいうが

今日別の支店の先輩と久しぶりに電話で話した。

その時に「お前は老いぼれみたいな生活を送ってる。20代のうちにしかできない遊びをもっとやって彼女を早く作って結婚しなよ~」とアドバイスしてもらった。

最近僕は「遊び」よりも「学び」継続学習の方が今の自分にとって大事だと思っている。なぜなら一日一日と時を重ねる中で日々勉強している人、勉強していない人の差が広がっていくからだ。勉強、教養を深めるということに関する差ですね。

でも僕が遊んでいない間に周りの20代が遊んでいることを考えると「遊ぶ」「社交」という面においての差はどんどんと広がっていっているのかもしれない。僕の属する社会階層においては教養というものは特に必要ではなく、そういった話をしたところで何言ってんだこいつ?状態になることは明らかである。

その中でなぜ僕が教養を深める、学びを深めることに焦点を当てているのかというと、僕自身が教養のある人間と付き合っていきたいからだ。教養がない人が悪いということではないけど、より構造的に世の中を理解している者同士が会話することによって生きている世界は違えど何かしら共有し相乗効果的なものが生まれやすいのではないかと考えている。

教養がある人間と付き合うメリットに関しては、将来自分の子供やなにかしらを育む時にそういった方がパートナー(結婚相手に限らない)として周りにいるだけで「育てたいもの」の成長率が高まると勝手に考えている。

 

※上文章を読んだ方はできればこの考えに対してのコメントを残してほしい。

 

「類は友を呼ぶ」という言葉があるように人間はおなじ嗜好性を持ったもの同士があつまるもので、その理屈をベースにおくと僕はやっぱり日々継続学習を行っていきたいなと思った。

女性について

女性観というほどたいそうなものではないけど、僕が今まで知り合ってきた女性は何かしらの変化があったらものすごく「わかりやすい」そしてその女性の意識が今現在どこに向いているのかというのがすごくつかみ易かった記憶。

意識のベクトルに関してだけど女性は自分の世界観の構築および世界観の崩壊の阻止に向かっているのではないかとおもう。自分の世界観というのは何ぞやという話だが。

自分の世界観とはつまり「自己愛が最も満たされる場所」であるのではないかなと感じている(ぼろくそでもうしわけない)。自分がきれいだと思った場所に対しては周りを気にせずに飛び込み、自分の価値観(審美観といったほうがただしいかも)に反する要素は基本的に排する。人間というのは基本的には功利主義(人生における幸福を求める)ものであり、人によっての幸福の形は異なっていると思うが、その中でも男と女でのちがいはすごく感じる。 

今のところ出会ってきた女性というのは、女性社会において幸福であるとされる形をとることと、どちらかというと感情的な低次欲求(承認、帰属、生理的)を「満たす」(この場合の満たすは補完の意味合いが大きい)によって行動を決定している(決定における意志が存在しているのかどうかは不明だが)んじゃないかなあと思う。

一言でいうと女性って野良猫っぽいよね。気ままな感じで。

今後の方針

①公務員試験に絶対に受かりたい

公務員試験に受かるためのものについてめちゃくちゃ考えなきゃいけない。自分なりの歩を進めていくことは非常に重要である。公務員試験に合格して国に仕えることで将来の危機を避ける。

②仕事に関して

仕事に関してはできる限り「努力しない」。努力しないということは何もしないということではなく、現状を把握、分析して早くレベルを高い状態まで引き上げる。その上で自分が無駄に動かなくてもよい仕組みを作ること。これが非常に大事だ。

③毎日やること

ブログを書くこと。これは自分の生み出してきた価値の蓄積となる。マルクス的に言うと「過去労働」である。またインプットしたものは全部ブログにあげていくような形でもいいかなと思う。「過去労働」の積み重ねによって自分の人生という神へのより効果的な労働を提供するのだ。

自分の「レベル感」の上下について

何故だかわからないが、最近物凄く自分の中での「レベル感」というものが低下している気がする。

何故だかわからないということもないが、以前までの自分のブログ記事を見ていく中で非常に強く感じた。自分の「型」というものが崩れてなにか現在は物凄くふわふわしたような形になっている。前のように何かしらを追求してそれを自分の糧にするという発想がなくなってきているのだろうか?

自分のレベル感が低下した要因で1つ考えうるのは、最近女性との付き合いが生じたこと。大体1か月前ぐらいかな?現在の自分がどういう考え方をしているのか現状自分で把握することもままならないというぐらいに自分の脳を使っていないのではという感覚の中にいる。

では具体的に自分のレベル感の上下をなくす。またはレベル感を上げていくための具体的な方策とはいったい何なのか?

①ブログをできるだけ書く。

おそらく以前にブログを書くことによって客観的に自分の立ち位置であったり思考方式というものが見えてくるということを述べた。 人間とは他人の能力値や状態といったものはよく見えるのであるが自分に関しては正確な「客観性」を持つことが難しい生き物だと考える。特に僕なんかはその傾向が顕著である。 なのでブログで自分の今考えていることを「見える化」(言葉の使い方があっているかどうかは別として)していくことで自分の舵取りをうまく行っていきたいなと考える。

②客観視したうえで自分に不足しているものを得る

これは精神的な部分であったり、会話の内容が客観的に見て稚拙だった場合に「今自分に何が足りていないのか?」を突き詰め(現状把握)、またそれに適した行動をとっていく(問題解決)。 これによって自分のレベル感の向上、維持、安定を図ることが出来るのではないかと考える。

③夢を語る

じぶんのやりたいことやむかつくことなどなんでもいいからひたすらに書きなぐることは大事だなと思う。そうすることで自分の無意識に向かっている目的みたいなものが明瞭になっていくのではないかと考える。

まとめ

正直今現状のレベルが低い状態でこんな意識高い感じの文章を書いてもあんまり意味がない感は否めないが、現状を把握していくためには滅茶苦茶大切な事だ。これからも恥を恐れずに頑張っていきたいと思う。

ノートに自分の考え方をまとめる

ノートに自分の「考え方」をまとめていってそれを暗記していくということに関して。
効率悪いのかなあ?
自分なりの虎の巻的なものは持っておいた方がいいと思うんだけどなあ。
正直スタート地点にすら立てていない気がするからさ。
話めちゃくちゃ飛ぶけど僕は「自分の考え」をまとめることがめちゃくちゃ苦手。
よく同じことを繰り返して考えたりする。
かなりロスの多い生き方してるとおもう。
ほんとに自分なりの考えをまとめたノートというかそういうのってつくっていかなきゃいけないよなあ。
仕事でも自分の考え方とかをちゃんとまとめてないからめちゃくちゃ同じミス繰り返したりする。
要は反復せずに全部ゼロからスタートしてるんだよなあ。
ほんとバカだわじぶん。