Takapedia

画像は愛犬の「アレク」

否定癖は悪い習慣

こんばんは。

最近悪習慣を取り除いて全盛期を取り戻したがってます。

禁煙とかしてます、えらい。

 

悪習慣について新しい「やめるもの」を思いついたのでブログに書いておこうと思いました。

「否定癖」

これを

「肯定癖」

にかえていきます。

 

ベクトルチェンジ。

えらいねじぶん。

禁煙してます。

禁煙してます。

9月の終わりごろから禁煙してまして、ただいま2週間と少し経過してるぐらい。

なぜ禁煙をはじめたのかというと、全盛期の自分をつくりだすため。

自分の中での全盛期は高校生の頃。その頃は世間知らず的な部分もあるが、割となんでもできるというセルフイメージがあった。

健全な心は健全な体に宿るという言葉がある。

今はそれに乗じて全盛期の自分の生活や考え方に戻していくよう意識している。

その中で当時自分がやっていなかった「悪習慣」を払しょく。その主たるものが「たばこ」であったため禁煙している。

 

現状禁断症状のせいか、頭がぼーっとしていたり自分の感覚というものが薄れてきている。

かなりしんどーい状態なので、なんとか健康的な状態になっていければなと思う。

 

いまやるべきはなにか

今日は休日出勤の代休だったので街中をぶらついていた

ぼくはいま仙台に住んでいる。

仙台って思ってたより都会で思っていたよりつまらなかった。

街中を歩いていてもお遊戯のような刺激しかなく、僕を酔わせるようなものは目に入らない。

長い間町を歩いていたが、退屈とともに「今自分がすべきこと」って何なんだろう?それを見つけなければいけないのではないか?という想いが降りてきた。

なにしたらええんや。

つかれた

仕事(出張帰り)は勉強やる気力わいてけーへん。

こういう時こそ自分へのアドバイス

 

なにをしたらよいですかね神様。

どうすっぺどうすっぺ

何勉強すっぺなーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー。

なんかなーーーーーーーーーーー、なにすっかなーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー。

何も思いつかねえな――――――――――――――――――――――――――――――――――――ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー。

若いうちに遊べとよくいうが

今日別の支店の先輩と久しぶりに電話で話した。

その時に「お前は老いぼれみたいな生活を送ってる。20代のうちにしかできない遊びをもっとやって彼女を早く作って結婚しなよ~」とアドバイスしてもらった。

最近僕は「遊び」よりも「学び」継続学習の方が今の自分にとって大事だと思っている。なぜなら一日一日と時を重ねる中で日々勉強している人、勉強していない人の差が広がっていくからだ。勉強、教養を深めるということに関する差ですね。

でも僕が遊んでいない間に周りの20代が遊んでいることを考えると「遊ぶ」「社交」という面においての差はどんどんと広がっていっているのかもしれない。僕の属する社会階層においては教養というものは特に必要ではなく、そういった話をしたところで何言ってんだこいつ?状態になることは明らかである。

その中でなぜ僕が教養を深める、学びを深めることに焦点を当てているのかというと、僕自身が教養のある人間と付き合っていきたいからだ。教養がない人が悪いということではないけど、より構造的に世の中を理解している者同士が会話することによって生きている世界は違えど何かしら共有し相乗効果的なものが生まれやすいのではないかと考えている。

教養がある人間と付き合うメリットに関しては、将来自分の子供やなにかしらを育む時にそういった方がパートナー(結婚相手に限らない)として周りにいるだけで「育てたいもの」の成長率が高まると勝手に考えている。

 

※上文章を読んだ方はできればこの考えに対してのコメントを残してほしい。

 

「類は友を呼ぶ」という言葉があるように人間はおなじ嗜好性を持ったもの同士があつまるもので、その理屈をベースにおくと僕はやっぱり日々継続学習を行っていきたいなと思った。

女性について

女性観というほどたいそうなものではないけど、僕が今まで知り合ってきた女性は何かしらの変化があったらものすごく「わかりやすい」そしてその女性の意識が今現在どこに向いているのかというのがすごくつかみ易かった記憶。

意識のベクトルに関してだけど女性は自分の世界観の構築および世界観の崩壊の阻止に向かっているのではないかとおもう。自分の世界観というのは何ぞやという話だが。

自分の世界観とはつまり「自己愛が最も満たされる場所」であるのではないかなと感じている(ぼろくそでもうしわけない)。自分がきれいだと思った場所に対しては周りを気にせずに飛び込み、自分の価値観(審美観といったほうがただしいかも)に反する要素は基本的に排する。人間というのは基本的には功利主義(人生における幸福を求める)ものであり、人によっての幸福の形は異なっていると思うが、その中でも男と女でのちがいはすごく感じる。 

今のところ出会ってきた女性というのは、女性社会において幸福であるとされる形をとることと、どちらかというと感情的な低次欲求(承認、帰属、生理的)を「満たす」(この場合の満たすは補完の意味合いが大きい)によって行動を決定している(決定における意志が存在しているのかどうかは不明だが)んじゃないかなあと思う。

一言でいうと女性って野良猫っぽいよね。気ままな感じで。