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画像は愛犬の「アレク」

女性について

女性観というほどたいそうなものではないけど、僕が今まで知り合ってきた女性は何かしらの変化があったらものすごく「わかりやすい」そしてその女性の意識が今現在どこに向いているのかというのがすごくつかみ易かった記憶。

意識のベクトルに関してだけど女性は自分の世界観の構築および世界観の崩壊の阻止に向かっているのではないかとおもう。自分の世界観というのは何ぞやという話だが。

自分の世界観とはつまり「自己愛が最も満たされる場所」であるのではないかなと感じている(ぼろくそでもうしわけない)。自分がきれいだと思った場所に対しては周りを気にせずに飛び込み、自分の価値観(審美観といったほうがただしいかも)に反する要素は基本的に排する。人間というのは基本的には功利主義(人生における幸福を求める)ものであり、人によっての幸福の形は異なっていると思うが、その中でも男と女でのちがいはすごく感じる。 

今のところ出会ってきた女性というのは、女性社会において幸福であるとされる形をとることと、どちらかというと感情的な低次欲求(承認、帰属、生理的)を「満たす」(この場合の満たすは補完の意味合いが大きい)によって行動を決定している(決定における意志が存在しているのかどうかは不明だが)んじゃないかなあと思う。

一言でいうと女性って野良猫っぽいよね。気ままな感じで。

今後の方針

①公務員試験に絶対に受かりたい

公務員試験に受かるためのものについてめちゃくちゃ考えなきゃいけない。自分なりの歩を進めていくことは非常に重要である。公務員試験に合格して国に仕えることで将来の危機を避ける。

②仕事に関して

仕事に関してはできる限り「努力しない」。努力しないということは何もしないということではなく、現状を把握、分析して早くレベルを高い状態まで引き上げる。その上で自分が無駄に動かなくてもよい仕組みを作ること。これが非常に大事だ。

③毎日やること

ブログを書くこと。これは自分の生み出してきた価値の蓄積となる。マルクス的に言うと「過去労働」である。またインプットしたものは全部ブログにあげていくような形でもいいかなと思う。「過去労働」の積み重ねによって自分の人生という神へのより効果的な労働を提供するのだ。

自分の「レベル感」の上下について

何故だかわからないが、最近物凄く自分の中での「レベル感」というものが低下している気がする。

何故だかわからないということもないが、以前までの自分のブログ記事を見ていく中で非常に強く感じた。自分の「型」というものが崩れてなにか現在は物凄くふわふわしたような形になっている。前のように何かしらを追求してそれを自分の糧にするという発想がなくなってきているのだろうか?

自分のレベル感が低下した要因で1つ考えうるのは、最近女性との付き合いが生じたこと。大体1か月前ぐらいかな?現在の自分がどういう考え方をしているのか現状自分で把握することもままならないというぐらいに自分の脳を使っていないのではという感覚の中にいる。

では具体的に自分のレベル感の上下をなくす。またはレベル感を上げていくための具体的な方策とはいったい何なのか?

①ブログをできるだけ書く。

おそらく以前にブログを書くことによって客観的に自分の立ち位置であったり思考方式というものが見えてくるということを述べた。 人間とは他人の能力値や状態といったものはよく見えるのであるが自分に関しては正確な「客観性」を持つことが難しい生き物だと考える。特に僕なんかはその傾向が顕著である。 なのでブログで自分の今考えていることを「見える化」(言葉の使い方があっているかどうかは別として)していくことで自分の舵取りをうまく行っていきたいなと考える。

②客観視したうえで自分に不足しているものを得る

これは精神的な部分であったり、会話の内容が客観的に見て稚拙だった場合に「今自分に何が足りていないのか?」を突き詰め(現状把握)、またそれに適した行動をとっていく(問題解決)。 これによって自分のレベル感の向上、維持、安定を図ることが出来るのではないかと考える。

③夢を語る

じぶんのやりたいことやむかつくことなどなんでもいいからひたすらに書きなぐることは大事だなと思う。そうすることで自分の無意識に向かっている目的みたいなものが明瞭になっていくのではないかと考える。

まとめ

正直今現状のレベルが低い状態でこんな意識高い感じの文章を書いてもあんまり意味がない感は否めないが、現状を把握していくためには滅茶苦茶大切な事だ。これからも恥を恐れずに頑張っていきたいと思う。

ノートに自分の考え方をまとめる

ノートに自分の「考え方」をまとめていってそれを暗記していくということに関して。
効率悪いのかなあ?
自分なりの虎の巻的なものは持っておいた方がいいと思うんだけどなあ。
正直スタート地点にすら立てていない気がするからさ。
話めちゃくちゃ飛ぶけど僕は「自分の考え」をまとめることがめちゃくちゃ苦手。
よく同じことを繰り返して考えたりする。
かなりロスの多い生き方してるとおもう。
ほんとに自分なりの考えをまとめたノートというかそういうのってつくっていかなきゃいけないよなあ。
仕事でも自分の考え方とかをちゃんとまとめてないからめちゃくちゃ同じミス繰り返したりする。
要は反復せずに全部ゼロからスタートしてるんだよなあ。
ほんとバカだわじぶん。

公務員になりたい

公務員になりたいけど全然勉強が進まない。
なんでこんなに勉強が進まないのかというと数的処理が苦手だから
とっかかりとして数的処理はやっていかなければならないし
配点も17点と非常に高いので毎日でもやらなきゃいけない。
けどなんかできない。

参考書を読んでいても全然わからない。
畑中敦子のワニ本をペラペラめくっていって
どんな問題があったのかとかはぼんやりわかるんだけど
全然中身の数列であったりプロセスが身についていない。
どうしたらいいんですかね

何が分かっていないのかが分かっていない状態っぽいので
とりあえず各章ごとの基本的な「考え方」を自分なりにノートにまとめていきたい。
本の情報はそのまま頭の中に入ってこない。
勉強はとどのつまり「暗記」である。みたいな人が多いけど
ペラペラページめくってるだけじゃ全然頭に入らない。

自分なりに加工したりしてやっていかないとほんとに前に進まない。
加工加工加工。
自分のものにするっていうのはむずかしいものだなあ。

熱しやすく冷めやすい

2016/6/29

熱しやすく冷めやすい。このブログに関してもそうだ。何か書こうと思ったら一日にいくつも記事を書くけど、ふと意識がそれると全く書かなくなる。非常に子供っぽい感じである。あっちへふらふらこっちへふらふらと。

自分の熱しやすく冷めやすい子の性格は損なのだろうか得なのだろうか?「継続は力なり」っていう言葉があるように何かを決めてずっと続けることでいろんな経験値や深みがでてくるとおもうが、熱しやすく冷めやすい自分のようなタイプは浅く広く深見のない表面的な人間になっているような気がする。

気がするけれども気がするだけなような気もする。正直凝り方に関しては周りの人よりはいろんなものに対する知識の広さ、そして深さはあるような気がする。けど本筋みたいなものがないから表面的でしかない知識になってしまうのだろうか、経験になってしまうのだろうか。

わからん。

2冊読書

2017年6月25日

今日は新書を2冊読んでみた。1冊目はファイリング、書類整理の本。2冊目は小売店の売場づくりに関する本。どちらも仕事に関連する読書だ。

正直上の2冊の内容は今の仕事にリンクはするが、これからの目標にとってあまり意味がないものだ。だけどなぜ読んだのかというと、買ったけど読んでない本をとりあえず消化することで自分のやらなきゃいけないことを減らすためだ。

本筋の努力をするためにはこういう有象無象のお片付けをしていかなければならない。新しい自分へ生まれ変わる為の身辺整理みたいなもんだともいえる。僕はあらゆる可能性を残しながら人生を進んできたものだから、これといった進路に意志を持って進んできた感じがない。だからこそ身辺整理からの1本筋を通した状態に持っていく。

とりあえず2冊の本を読んで、何も残るものはなかった。それは本の内容が悪いということではなく、本の使い方が悪いのだと認識できた。通読することは僕にとってあまり効果がなかったようだ。

次から本の内容を自分の人生に活かそうという時は、ロジックツリー形式で分岐的に網羅的に鳥の視点から虫の視点に落とし込むような形で「情報の整理」をしていきたい。これだとあとで想起しやすい(想起すると記憶に定着するから)ので、自分のインプットの現状一番優れた方法として活用していこうと思う。