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画像は愛犬の「アレク」

分析、要素分解、理解は対応力になるという驕り

■僕は世の中の全てのものは大体分割できると考えている。これはおそらく間違いの無いことだとも思う。

例えばコミュニケーション。これに対してはまず人間の感情を分割していく。んでその後になんでその感情が生まれたのか?その感情が生まれた根本的なきっかけはなんなのか?感情が生まれた際にその人の状態はどのように変化するのか?という風に分割していくと、心理学から人間化学に深めていくことができると思っている。

まあその根本までの道筋を辿るためのアタリをつけることが難しかったりするので、分岐的な情報を掴んでいく中で、今自分が必要な情報は何なのか、またその情報を得てなにを知りたいのかという問題設定をするのも大切だなと感じている。

■話が逸れちゃったけど、すべてのものは分割できるという考え。これはまあ正しいと思う。んでもって分割していくことによってなぜそれが起きたのかということを筋道立てて理解することも可能だと思う。

こういう考え方は、何か一つのものに対しての研究だったらば有意義だと思うんだけど、現実世界の私生活の中で応用する為に有意義かと言われると今の所そうではないというのが僕の考え。

なぜなら現実世界でのコミュニケーションや仕事において必要なものは対応力。あらゆるパターンのタスクに対して臨機応変に正確にスピーディーに対応していくことが価値であると思う。

じゃあそれに対して必要な考え方は何なのか?研究的、分析的な考え方は応用は効くけど、根本要素から再度組み立てていかなきゃならんので非常に手間がかかる。だから統計的なデータを無意識のうちに集めて、そのデータから必要なアウトプットをよりスピーディーに行うことだと思う。

これに近いのが共感能力じゃないかなと考えてる。共感とは細かい膨大なデータの集合である現象に対して細かい膨大なデータの集合であるアウトプットを適切に行う力だと思ってて、これは動物的な感性が必要でありインプット、アウトプット能力ともに才能が必要だとも考える。

なので分析的に状況判断、アウトプットをしたら何とかなるやろと思っている僕タイプの人は才能が無いので無理に頑張らないように適当にやっていきたいですねと最終的に言いたかった。何だこの文章クソなげえな、すみません。