Takapedia

画像は愛犬の「アレク」

LIIのストレス?

最近仕事やプライベートで自分が大事だと思っている時間が全く使えずに他人に時間を使いまくってる感覚があってめちゃくちゃストレスがたまっている。自分が求めておらず他人にプラスになる事象であっても、自分個人にとってのメリットがなければかなりしんどい気持ちになるのであった。だって他人に時間使うのって無駄じゃない?時間は有限なものであって自分は人間関係を重視しないタイプであるにも関わらずそこに有限資源を投入しなければいけないし、時間を使うということはお金も使うことになるしホントに無駄、無価値だわ。

資源の無駄遣いを極力無くしていって愛想悪い感じで自己中心的に生きていきたい

ってか話変わるのですがソシオニクス研究者多くね?研究者によって概ね同じような説明をしてたりはするけど、とある研究者では解像度高かったりシンプルだったりみたいな説明の偏りあるよね。基本的にグレンコ先生の文章しか読んでなかったけど他の研究者の文章も割と読む価値あるのかもしれない。てかソシオ学習の執着地点はいずこ。たぶん自分にとってのソシオニクスは周りにいる人たちや環境をより良く改善するための現状把握のツールであり理想的な改善、活用につながるノウハウが詰まったもの何だろうなと思う。周りの人や環境の今後の動きを円滑にしたい!っていうLIIの否定主義がバリバリ反映されてる考え方なのでしたまる。

ソシオニクス活性化関係の彼女とのお別れ

ついにお別れ後同棲してきた活性化関係の彼女とお別れすることになりました。彼女はSEIハーモナイザーで自分はLIIクリエイターです。サブタイプでみると双対相性なのですがタイプでは活性化の相性。本当に魂の仲間といえるぐらいに仲が良く、自分の人生にとって本当に大きな影響を与えてくれたかけがえのない存在です。未だにあの子と平和な世界で長く一緒に居られれば、現実的な問題をすべて取りおいて平和に過ごすことができたら本当に幸福感のある時間が過ごせるだろう…と感じています。

しかし現実世界に生きる我々には「やるべきこと」「やるべきだと感じる課題」があるわけなのです。そこで共同生活や共同での意思決定をしなければならなかったのですが、その際の衝突が本当に悲しいぐらい起きるのでした。本当に毎回同じ事で喧嘩をし、毎回同じように距離を開けて関係の改善を待つ。かなり不毛でどうしようもない「ちがい」がそこにはありました。あんなに楽しく過ごせるのに、あんなに幸せな時間を一緒に過ごせるのになぜ…。本当に活性化関係での恋愛はツラい、罠だと言っても過言ではありません。本当に神の存在があるのなら神を恨み憎むような悲しさが沸き立ってきます。

結果としてお別れして違う人生を歩むことになりますが、あの子とはまたどこかで一緒に生きることができればと思っています。本当に前世があったり魂のつながりがあるのであれば、彼女こそ自分のソウルメイトなのでしょう。彼女以上のソウルメイトは出てこないです。本当に辛い。本当に辛い。

互いに幸せな人生を歩むことができるよう願って、勝手な男の自分語りでした。

仕事が終わらないってコト?!

どうもハチワレです。仕事が終わんねえ感じがする今日このごろです。具体的になんの仕事が終わってないのかすらよくわかっていない状態ではあるのですが、すげー焦燥感だけがある感じがツライ!じゃあなぜ自分は今焦燥感があるのかを少し分析してみようと思う。

まず明確なゴールを定めておらず、目の前にあるタスクをひたすらこなさなければならないと考えているから常に仕事に追われている感覚なのではないか?と考える。これに関してはマジでそう!明確な目標、明確なタスクに対して動いていくのではなく動ける分だけ動きまくるみたいな働き方をしている。がむしゃらくん。

あとは日常的に必須なタスクをすべて捉えられていないので、なんかできてないのではないか…?という不安感がひたすら纏わりついているのである。整理が足りてないねタカチャン。状況整理は何よりも物事の進行を円滑にする魔法の手段なのである。ジッサイツヨイ!

一度俯瞰的に日常的に必要なタスクや得意先にとって必要なタスク、現状を把握して次のアクションをレベルアップさせるためのタスクを次々と整理整頓、見える化していこう。てかしなきゃ死んじゃう…。ヘロヘロ~

身体にいいもの悪いもの

最近めちゃくちゃメンタルが不安定になっている。なおかつ仕事でのパフォーマンスもめちゃくちゃ落ちていてケアレスミスが酷い。おそらく2月末ごろから急にクオリティが落ちてきたのだが原因はコーヒーを飲み始めた事である。

それまではカフェインを取ると気力とかすべての能力値が下落すると感じていたので飲むのを控えていたが、2月末以降はがぶがぶとコーヒーを飲むようになっていたのだ。マジでわけわからんレベルでカフェイン、コーヒーへの耐性がないのだと気付いた。

体調の変化についてはたばこや酒も有害だが、体調に最も影響を与えるものはカフェインであるという事が判明。人によって摂取できるもの、できないものがあるがこんな身近な嗜好品が自分にとっての劇毒だったとは考えもつかない。

今後は身体に何かしら影響がありそうなものについては、摂取の経過観察を行っていく必要があるなと思った。

追記:胃にダメージを与える刺激物はなぜこんなにも欲望を掻き立てるのか?たとえば脂っぽい食べ物、甘ーい食べ物、コーヒー、コーラのような刺激物、タバコ、酒、香辛料やシンプルに辛いものなどなど。最終的に胃が悲鳴を上げてしまうものをなぜこんなにも人は求めてしまうのだろうか?答えはドーパミンやエンドルフィンといった脳内物質が発生するからである。これらが発生すると「面白い」という感覚が喚起され、幸福な状態になっていると錯覚するのである。また胃が荒れる以外にも胃の働きが悪くなるのも上記刺激物質たちに共通する特徴である。こういったものを世の中からなくしたほうがもっと生産的に人々が安定的な幸せをつかむことが出来るのではないかと超絶感じる。

ちなみにSNSも刺激物である。これは胃にダメージを与える事はないがドーパミンが発生する。

飲み会終わりのつぶやき

本日得意先との飲み会で、色んなサプライヤーが集まって飲み会をしたわけだがマジで「ノリ」というものの存在がよくわからない。自分の本題を示すことができずにただ面白いであろう内容を共有し合う、場の空気を共有し合うだけの空間である。別にそれ自体を悪いものとして否定する訳では無いが、自分からするとまじで意味のわからない文化である。

そしてそんな事を言っている自分は営業職であり、人間の空気やノリというものを重視して場の空気をコントロールする必要がある仕事をしているわけである。

営業職としてはマジで落第点がつけられるような人員であるが、結果につながることができているという意味でマジでよくわからない状態であるが、正攻法で言うと自分の価値は全然なくてないがしろにされて然るべき存在なのである。営業適性がないが問題解決適性があるという存在である。

話は戻るが「ノリ」というものがわからないにも関わらずそういった環境の中でやっていくことができるのであろうか?それはないと言える。自分が共感できないノリに対してアプローチする術がないからである。

コミュニケーション力が低い、特に人と楽しく過ごすみたいなコミュニケーション力が本当に低いからコミュニティにおけるポジションを取ることもできない。変なやつ、ノリが悪いやつ、面白くないやつとしてひたすら認識される迷惑な人間である。

そんな人間がどこで生きていくことができるのか?自分はいわゆるノリの良い人、明るいグループ、みたいな集団には向いておらず、社会不適合者の集まる集団にこそ存在できるのではないのか?と思う。

しかし社会不適合者の集団においても自分は孤立してしまうため、人間組織そのものが向いていない本質的に孤独な性質を持つ人間なのだと感じる。

つらい死ねばいいのに(他責)自分は本当に人の心というものに接することができない人間なんだなと思う。悲しい。論理で人と繋がりたいけどそれは人間ではない。

類型界隈から抜けたい

類型界隈を抜けようと思う。類型界隈とはMBTIやエニアグラム、ソシオニクスといった人間を類型化して自分や他人の理解、相性の理解、そこからの将来への発展などなどを目的とした人たちが集まった界隈である。類型界隈の特徴としては若者が非常に多く、30代前半の自分のような人はめったに見かけない。仕事の話とかをしてても正直浮いてしまうようなそんな界隈である。

しかし年齢は違えど非常に居心地がいい。それが類型界隈の特徴である。特に最近ではソシオニクスという人間の相性および各タイプの特性がわかるという類型カテゴリがあるのだが、その理論のおかげで居心地が良かったり楽しく過ごせる相手がわかるようになり、Twitterでも気の合う友人のような人たちがたくさんいるような状態になっている。

しかし良くも悪くも、自分が本筋を置いている理不尽な「現実世界」に対して理想の世界であるソシオニクス類型界隈は自分にとっての存在感が非常に大きいものになっている。自分はあるべき姿を追い求める理想主義的な性格が非常に強いので、より一層現実世界に対するヘイトが募り、ソシオ界隈の友人たちとの楽しい交流が更にそれを加速させ、現実世界の環境との不和、不一致感というものが積み重なっている状況である。

また自分が理想主義的な生き方を追い求める上で、自分にとって快適な世界とは何か?そして今自分の周りにいる人はどんな人達で自分との相性はどんなものなのか?その人はどんな性質を持っているのか?みたいなことを考えたり、ソシオニクス自体にも頭のリソースの大半を割くことによって主に仕事に対する思考リソースが減少してしまい、日々のケアレスミスの多発のような問題が発生してしまっているのであった。

とまあここまで現状の問題に至るまでの課題原因を列挙してきたわけだが、今後自分がどうすべきなのかについて考えなければいけない。課題として挙げられるのは①現実世界のリソース不足によるミス多発②現実世界環境の快適性が低く、外部環境との相性に依存したものなので自然解消ができない の2点である。

①の現実世界のリソース不足発生についてはTwitter(ソシオ類型界隈)をいったん辞めることで少しでも理想主義的な脳のリソースの割き方を抑えたり、過剰な他人や自分に対するラベリングをやめストレスを減らす方向に持っていく。そうすることで日常的なトラブルを防ぐことができる…はず

②の現実世界での外部環境との相性が良くないと感じる問題については、元々ソシオニクスとかをやってたりするので自分自身や外部環境に対する偏見もあるかもしれないが、継続的にノリが合わない感じはするので転職など環境をガラッと変える事によって解消していきたいと思う。(転職して2年しかたってないけど)

最終的には自分の理想的な環境を手に入れられればとは思うので、Twitterに手出しはせずとも類型理論みたいなのは活用しつつ最適化していきたい。あと東洋医学とか健康系の商材取り扱いたい!うひょー!

仕事で意味がわからないもの

食品業界の営業してます

得意先はスーパーとかドラッグストアです

自分の仕事が会社からめちゃくちゃ酷評されてます、酷評される理由は何なのでしょう?

 

手段の目的化

企画とか、施策をやること自体が目的になってるとめちゃくちゃ言われてます

自分の中では購買量アップとかの仮説を立てたうえでやってるけどそれが飛躍しすぎてるのかわからんけどやたら手段の目的化と言われてます。

 

具体性がない

社内報告とかでめちゃ言われてます。正直具体性がないと評価する人の主観的に足りてないと思う要因を明確にわからないので、印象だけで言われている可能性もあります。5W1Hで示せばいいのでしょうか?わかりません。

 

イベントとかをする意味がよくわからない

イベントとかを個店でする意味がよくわかりません、イベントをする費用とイベントによって生まれる売上効果がイコールではないのにイベントの実施が推奨されています。それこそ手段の目的化が起きてるんじゃないか?と思います。人間の感情を掴むことが大事なのか何なのか構造がよくわかりません。

 

取組みがよくわからない

環境対応とかの取組の意味がよくわかりません。先方の注力方針に合わせたことを取り組む事で先方の企業価値が何かしら上がり、それに対してメーカーのプレゼンスが上がり、販促の獲得機会が拡大するみたいなことだと思うけど、実際にそれによって販促が獲得できるのかわからんし交渉材料になるけど、それ自体よりももっと別の直接売上につながるような取り組みをしたほうがいいと思います。