■思考を手放すという状態
スマホをさわっているとき、人と会話しているとき、仕事をしているとき?に自分自身の思考を放棄していると感じる事がある。感覚的な話でしかないが、スマホをさわっているとき、会話してるとき、仕事中でも思考はしているのだが、それは「外部からの情報ありきの思考」である。反射的思考とでも言うのだろうか? 私は自分自身の思考を操り、しっくりと来る自由な思考を実現したいと考えているため、反射的思考の機会を減らしていかなければならない。
ふぅ……。
■機会損失
機会損失がきらい。基本的に情報不足や、保守的な判断をとることによって機会損失を発生させたくない。リスクは極力とっていくべきである。その中で失敗ケースが生じてくる為、周囲の失敗モデルを参考にしながらリスクを選択していくべし。
■失敗について 2018.10.04
①問題を抱えている際よくやる失敗↓
自分の頭でまず考えない。次にネットサーフィンを繰り返して違う情報にアクセスする。これは目先の問題に対してその場の情報を基に状況分析判断を行わ内容になる為、実際起きている問題の根本解決方法を探ることができず、なおかつ自身の思考力、問題解決能力を高める事も出来ない。
②気になったものに対するアプローチ
気になったことは基本的にすぐに調べている。しかし調べ方に問題アリ。2chまとめやツイッターなど「誰かの意見」に依存する傾向が強い。自分が気になる答えにどのようにしたらアクセスできるのかを自分の頭で考えた上で調査すべし。
こんなところかね
備忘録的なものなので、特に意味はない。
成功プロセスよりも失敗プロセスの分析した方がしっくりくるので、失敗プロセス、要素分析だけやっていくー。
自己啓発って自意識の過剰な肥大化によるいわゆる「自信」の構築につながるんだとおもう。けど自己啓発をすることで何かがうまくいったりするわけがない。
僕なんか公務員試験の合格達成を目標軸に生活をしているつもりだが、自己啓発をすることによってどうしても神頼み的なそういう部分がでてきてしまって、本当にやらなきゃならない「勉強」って部分への精神資源および時間資源の振り分けが出来なくなっている気がするんだよな。
自己啓発みたいなのは自信がない人にはマジでおすすめだけど、何かしらの明確で達成すべきである目標地点があるような人にとっては割とノイズでしかない気がするな。
自己啓発、有効だけどすべてに有効な人間の核となるものでもないのではないかな。
人生って努力によって変わらないんじゃないかな。
いやもしかすると変わるのかもしれない。けどその人が持つなんというか「特性」や「ランク」からはずれた変化というものは見込めないと思う。
人間には何かしらの階層があって、その階層の中での自分をより磨いていくことしかできないのではないかと思う。普通に生きてたら人生に変化を起こすことは確実に不可能だと思う。なぜ不可能だと思うのかという部分に関しては、自分が今まで見てきた人たちが変化できてないからだ。自分も含めてね。
いもむしがさなぎになって蝶になるように、人間にも変化するチャンスがあってほしい。本当にそう願う。変わりたいのに変われない葛藤を抱えたまま生きていたくない。
やりたい。とりあえずいろいろとやりたい。
例えば何をやりたいのかって言うとオナニーとかセックスとかしたい。
最近ずっと禁欲しててムラムラして仕方がない。
頭の芯から快楽が突き抜けていくような性行為がしたい。
そのほかは何がしたい?
享楽的な趣味におぼれたい。インターネットや映画アニメなど受動的に娯楽をむさぼりつくしたい。エロ動画とかめちゃくちゃみて知能指数を物凄く下げたい。
公務員試験の勉強はやらなきゃいけないけどやってない。
なんでやらなきゃならないのかというと、自分を違う人生のステージに立たせるため。どういうステージなのかというと、、知的かつモラルのしっかりとした理性的な世界。理性的な世界に立ちたいにも関わらず僕は性的な事ばっかり考えている。
自分がいやだ。何も進歩しない自分が本当にいやだ。同じところをぐるぐるぐるぐる回っている。ダサい自分からは逃れられない。人生を変える力がない。そもそも自分にとって人生を変化させることはなにもしていないのかもしれない。というかしていないからいまこうやって苦しんでいる。