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画像は愛犬の「アレク」

飲み会終わりのつぶやき

本日得意先との飲み会で、色んなサプライヤーが集まって飲み会をしたわけだがマジで「ノリ」というものの存在がよくわからない。自分の本題を示すことができずにただ面白いであろう内容を共有し合う、場の空気を共有し合うだけの空間である。別にそれ自体を悪いものとして否定する訳では無いが、自分からするとまじで意味のわからない文化である。

そしてそんな事を言っている自分は営業職であり、人間の空気やノリというものを重視して場の空気をコントロールする必要がある仕事をしているわけである。

営業職としてはマジで落第点がつけられるような人員であるが、結果につながることができているという意味でマジでよくわからない状態であるが、正攻法で言うと自分の価値は全然なくてないがしろにされて然るべき存在なのである。営業適性がないが問題解決適性があるという存在である。

話は戻るが「ノリ」というものがわからないにも関わらずそういった環境の中でやっていくことができるのであろうか?それはないと言える。自分が共感できないノリに対してアプローチする術がないからである。

コミュニケーション力が低い、特に人と楽しく過ごすみたいなコミュニケーション力が本当に低いからコミュニティにおけるポジションを取ることもできない。変なやつ、ノリが悪いやつ、面白くないやつとしてひたすら認識される迷惑な人間である。

そんな人間がどこで生きていくことができるのか?自分はいわゆるノリの良い人、明るいグループ、みたいな集団には向いておらず、社会不適合者の集まる集団にこそ存在できるのではないのか?と思う。

しかし社会不適合者の集団においても自分は孤立してしまうため、人間組織そのものが向いていない本質的に孤独な性質を持つ人間なのだと感じる。

つらい死ねばいいのに(他責)自分は本当に人の心というものに接することができない人間なんだなと思う。悲しい。論理で人と繋がりたいけどそれは人間ではない。